凄い日本人 Part6 ルダシングワ真美さん
ルダシングワ真美さん
1997年からルワンダ、ブルンジで障害を持つ方々を支援する
活動を行うNGOを運営している方です
真美さんにお話を伺いに行った
1997年から活動を始めておりルワンダの大虐殺からの変化を直に感じている方でもあるのでこの機会を頂けた事は大変貴重な体験だった。
活動のきっかけ
真美さんは初めからこれをやろうと決めて始めた分けではなかった。
日本での仕事に疲れとにかく日本を離れたかった
外に行けば何かがあると思い地球の歩き方を見ていたらスワヒリ語への案内があり
それがきっかけでケニアに留学
そこでルワンダの内乱を避けてケニアで雑貨を売っていたパートナーのガテラさんに会い
ルワンダの今起きている事、アフリカの問題点について聞いた
日本に居る時にガテラさんの足の器具が壊れてしまい
日本人の技師に治してもらい
その時思ったという
この技術ルワンダで活かせると。
それがきっかけで日本で修行した後
ルワンダで義肢装具士として活動を始めた
ジェノサイドで手足を失った人に無料で義肢を制作、提供している。
きっかけは何かをやろと思ってやることよりも
気づきそれに向かって突き進んで行った結果きっかけがわかるものなのだと感じた。
これまでに話を聞いて聞いた方々のきっかけも初めから何かをしようと海外に飛び出していった人は少ない。
きっかけよりもそれをきっかけにする事の方が大事だと感じた。
ルワンダでの仕事をすること
やはり旅行者と滞在者の目線は違い
ルワンダで仕事をすることはインフラも整っていて不自由はあまりないと思っていたが
日々苦悩だそうだ。
時間の使い方、性格、価値観が違うため
海外で仕事をする事はそう簡単ではないようだ。
大虐殺からのルワンダの変化
大虐殺が起った2年後活動を開始しており、ルワンダの変化を直に体感している。
ジェノサイドが終結それから大きな出来事は起っていない
なぜなのか?
本当に殺したくて殺した人がいないからだと思う。殺された家族は恨みはない事はないと思うが、それよりも長年のジェノサイドにエネルギーを失われ
人々の感情の変化として自らの生活を立て直したいという
精神的な欲求が強かったと感じたそうだ。
一家の大黒柱を失った収監された人たちも自分の生活を必死に立て直そうとしていた
それと同時に政府もインフラを整えたり建物を修復したり復興に力を加えた
国として恨むのをやめてお互い認め合おうと発信したという
復興して行こうとする政府に国民が着いて行った
うまく意識がマッチした
その結果、
極貧層はなく、道ばたにはゴミではなく花が咲いてる国になって来たと実感しているそうだ。
英語教育
1997年頃はメニューがフランス語で分からなかったが2000年頃から英語に変化し始め会議でも英語を話すように変化してきたそうだ。
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現在ルワンダは急成長を遂げている
さらに急発展する時のルワンダも今の環境のルワンダであって欲しいと思う
真美さんは2012年
シチズン・オブ・ザ・イヤー賞に15年間にわたるルワンダでの義肢の無償提供
障碍者の就労支援が評価され受賞されております。
http://www.citizen.co.jp/coy/archive/2012_03.html
真美さんのルワンダでの活動です
ムルンディ・ジャパン・ワンラブプロジェクト
http://www.onelove-project.info/index.html
ゲストハウス、レストランも敷地内にあるのでルアンダに行く予定の際は是非
テント泊もできます。
ルワンダで活躍する日本人
ルダシングワ真美さん
ありがとうございました