ルアンパパーン
ルアンパパーンまとめ
ビエンチャンからの移動
ビエンチャンからシッティングバスで12時間かけて到着
値段は16000キープ
全く寝れんし狭すぎる
ミニバスの方が絶対いい
シッティングバスは長距離はやめた方がいいと思う
スリーピングはパクセーからビエンチャンまで使ったけど
一つのベットに2人だから、狭い
なおかつ俺の場合は、僧侶と一緒のベットだったから
敬意を払って3分の1のスペースで寝た
僧侶と寝るなんてレアでしょ笑
まぁ寝れたから後は値段で決めるだけだと思う
移動につかれ
ビラデサゲストハウスのドミトリー30000キープ(300円)
寝てる間に日本人宿となった笑
安くて清潔だから良いと思う
メインストリートでは夜になると
道が一部封鎖されて
数百mのナイトマーケットが現れる
刺繍の絵本だったり
こんな細かい可愛らしいものも
ラオウィスキーやアクセサリーもろもろあった
けど同じものが並びすぎてて
それが戦略かもしれないけど効率悪いかなと思った
ルアンパパーンで夜飯といったら
ワンプレート盛り放題10000キープ
100円
みんなメチャ盛ってる
外人に写真も撮られてる笑
久々に腹一杯くった
これで体重ももどるかな?
28日午後
クアンシーの滝へ
シャッタースピード遅くしてみた
いい感じじゃね?
ターザンもできるよー
一人で行った宿命は誰かに写真を撮ってもらわなければいけないこと笑
これテイク2ね笑
ちょーきもちー
象使いのツアーに組み込まれてるから
象使いになるとついでに是非是非
そして29日
朝はえー5時45
相変わらず寒いなー
インドの暑さに耐えるかな?若干心配
有名な托鉢を見にメインストリートへ
何百という修行僧が毎朝列をなして
大きな鉢をもって
住民や観光客から供物を受け取る光景
めちゃ眠そう笑
4カ国目ラオス ゲット
その後メコン川沿いを散歩したり
裏道をぶらぶらしてた
そしたら
まんべんの笑みで
サワディーと挨拶してくれた
イェーと出会った
彼はこれからテンプル(寺)に行くと聞こえたから
一緒に連れてってもらう事に
なんで寺にいくの?って聞いても
レストランって言われるし
着いてようやくわかった
寺でなくテーボー(机)だった笑
彼は机を一緒に作りに行かないか?
と言っていたのか?
マジかよ
ルアンパパーン最終日テーブル制作ですw
いやローカルと絡めてるからむしろ喜ぶべきだ
制作開始〜
廃材が一杯転がってて
イェーがチョイスして組みたててく
工程とかない
ただ思うがままに釘を打ちまくってた
一時間後
かんせー
凄い乱雑だけどなんか味がある(^_^)
彼は毎晩青空レストランを開いている
結構お金になるらしい
行きたかったー
制作途中
彼の友達でガイドをしているといろいろ話を聞いた
象使いのエージェントのパットは、フランス女性の支援によって大学に行く事ができ、英語コースで今ではペラペラ
である
だからスポンサーはみんないるのか?興味があった
彼は親の支援で大学ではなくカレッジに3年通ったそうだ
カレッジはユニバーシティと違うそうだ
お金の問題でユニバーシティに入る事ができなかったそうだ
スポンサーがいるのはごく一部
その一人がパットだったという事なのだろう
もう一人のエージェント、タイもスポンサーがなく
親の支援で大学に通っていたが
父親が亡くなり学校に行けなくなった
彼はエージェントとして一年働いてまた学校に戻りたいと言う
なぜなら彼にはラオスの子供たちに英語を教える先生になる事が夢だからだ
彼の凄いとこは、日本語も多少喋れるところだ
彼らは、自分の与えられたチャンスでそのチャンスを掴みとっている
英語もペラペラになっている
日本だったらどうだろうか
大学は名前が分からないほど数があり
ほとんど大学へ行く
しかし、その学問を極めた人は極わずかで決算書も読めずに経営学部を卒業してく人なんてザラにいると思う
同じく英語科で英語が十分にしゃべれない人も
日本の学生はチャンスを与えられてるにも関わらずそれを活かしきれてない
自分もこのまま行ったらその仲間に含まれるだろう
自分は何を大学で学ぼうとしているのか?はっきりさせるベキであるのだと
感じた
俺が話を聞いたのは成功者かもしれない
しかし、勉強に対する熱
将来に対する熱が明らか違った
こういう事が感じれるのが
旅の良さなのかもしれない
今日もありがとう
おしてくれると
モチベーションあがりまーすw